月光のたばしる稲を刈りにけり
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
秋 |
出 典 |
東旭川町史 |
前 書 |
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評 言 |
『東旭川町史』に、《当町におけるまとまった俳句活動は、大正の末期、早川珍竹林の門下にあって年少気鋭を誇っていた青年市田覆盆子が、下公有地第三小学校を中心として、教員や農民青年などとともに、俳誌「螢水」を出し、同人二十数人にもおよんで、盛況であったのに始まるのであるが、のちに荒谷松葉子の指導も受け、上公有地旭正方面にも漸次この影響は及んで行った。》とある。 上記、下公有地、上公有地は、筆者の住地で現在、この呼び名は使われていないが、なつかしい呼称である。第三小学校は、筆者の卒業した学校で、旭正は、農協の本拠のあった大切なところである。この頃の記録に名を連ねている人の子孫は、現在も、この地に住して、生業にあたっている。 市田覆盆子の動向をつぶさに見ると、旺盛な行動力で、地元の同好の士を集め、俳句の活動を展開している。一方で、現在も、北海道俳壇で名を遺している著名な俳人との交流もあり、講師として招聘し、指導を仰いでいる。 さて、上掲作であるが、「月光のたばしる」には、すでにして夜露の降りた、または、雨後のその時を見ることができる。今は、農業もほとんど機械で行なわれているが、昔は、稲も手で刈るのが普通で、まして覆盆子の時代は、重い労働ではあったが、夜をかけて作業しても、収穫の喜びは大きかったであろう。 |
評 者 |
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備 考 |
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