最初のアフリカ探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 05:31 UTC 版)
高校中退後、国内沿海航路貨物船の見習いコックとして働き、資金を貯めた上温湯は、1970年2月1日、50か国にわたる“世界放浪”へ旅立つ。 東京-沖縄-台湾から旅は始まり、アジア、ヨーロッパを経てアフリカへ入る。アフリカでは、エジプト - スーダン - エチオピア - ケニア - タンザニア - マラウイ - モザンビーク - ザンビア - ザイール - 中央アフリカ - カメルーン - ナイジェリア - ダオメー - トーゴ - ガーナ - コートジボワール - マリ - ニジェール - アルジェリアを通り、ヨーロッパへ一度戻りアルバイトで資金を貯めてから、モロッコ - 西サハラ - モーリタニア - マリ - セネガルへと旅を続けた。ヒッチハイクや鉄道、飛行機、バス、船などを使い、ほぼアフリカ全土を時計回りに踏破している。 予定では南アメリカへ行く計画であったが、9か月早く旅を切り上げ、1972年4月25日、約2年3か月ぶりに日本に帰国した。帰国後、大学検定試験を受け、アフリカ旅行計画を練るなどして2度目のサハラ砂漠旅行へ出発する。
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