最初のS-49
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 00:29 UTC 版)
「S-49 (航空機)」の記事における「最初のS-49」の解説
ティトーらパルチザンによるユーゴスラビアの解放後、同国ではすぐに国内航空産業の復興が始められた。1946年にはザルコヴォに空軍技術大学が創設されたが、これは国の航空技術及び研究の中心機関となった。そこでは、練習機、連絡機、訓練機といった様々な飛行機のプロジェクトが登場した。また、ユーゴスラビアの技師たちはIK-3をベースとしたS-49(С-49)戦闘機を設計したが、開戦までに生産されたIK-3の機体はすべて失われていたためこの作業は難航し、立案までに11ヶ月を要した。
※この「最初のS-49」の解説は、「S-49 (航空機)」の解説の一部です。
「最初のS-49」を含む「S-49 (航空機)」の記事については、「S-49 (航空機)」の概要を参照ください。
- 最初のS-49のページへのリンク