暴君コンスタンティン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 14:02 UTC 版)
「コンスタンティン3世」の記事における「暴君コンスタンティン」の解説
コンスタンティンの行状は、同時代人のギルダスが著した『ブリトン人の没落』によって報告されており、アーサー王伝説の登場人物としては数少ない、一次史料が現存して実在が確実な人物である。 ギルダスは『ブリトン人の没落』の中で五人のブリテンの暴君を糾弾しているが、ドゥムノニア王コンスタンティンについては「ダムノニア(ドゥムノニア)の不浄な雌獅子から産まれた暴虐な仔獅子」と仇名している。ギルダスが同書を著述中のまさにその年、コンスタンティンは、直前に住民に対して何らの不正行為もしないと神前に誓いをしていたにも関わらず、大修道院長の僧服を着て僧侶に扮し、剣とジャベリンを使って教会の祭壇の前で二人の若い王族を殺害したという。また、さらにその何年も前から、既婚者であるのに、コンスタンティンは複数の女性と姦通をしていた。 ギルダスはコンスタンティンを「なぜ自分から地獄の業火に焚べられに行かないのか?」等、激しく非難しつつも、神は咎人が死ぬことよりも生きて回心することを望んでいるとし、悔い改めることを勧めている。 トーマス・オサリヴァンは、コンスタンティンをウェールズ語文献のキステニン・コルネイという人物に比定し、活躍期は西暦520年から523年と推定している。キステニンは、テオドシウス1世の時代のブリタンニア司令官・僭称ローマ皇帝マグヌス・マクシムス(在位383年-388年)に仕え、土地を与えられたカナン・マプ・エイダフ・ヘン(ウェールズ語: Cynan map Eudaf Hen)(ブルターニュの伝説的建国者コナン・メリアドクのウェールズ語名)の来孫(孫の曾孫)であるという。『聖人の系図(英語版)』の幾つかの写本によれば、キステニンの父はカンヴァウア、子はエルビンで、エルビンの子はゲライントである。このゲライントは初期のアーサー王伝説の登場人物で、『エルビンの息子ゲライントの物語』や『ゲライントとエニッド』など数篇のマビノギオンの主人公である。
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