晴明朝臣入唐伝とは? わかりやすく解説

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晴明朝臣入唐伝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 03:43 UTC 版)

三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集」の記事における「晴明朝臣入唐伝」の解説

本書中には、その由来を示す逸話である「晴明朝臣入唐伝」が載せられている。 『金烏玉兎集』注釈書江戸時代初期までに出版されたと推察されている『簠簋抄』の記述では、本書天竺文殊菩薩書いたもので、その後道上人に伝えられ、これが吉備真備の手渡りその際吉備真備助力した安部仲丸遣唐使として唐に渡った死して鬼と化している)の子孫である晴明(『簠簋抄』では「清明」)に伝えられたことが記されている。 さらに晴明の母はキツネであるとする葛の葉伝説も『簠簋抄』に記載されたものである。 帝の御前晴明と術比べをして負けた播磨道摩法師蘆屋道満)はその後晴明弟子になったという。しかし、彼は晴明追い落とそう狙っていた。そして晴明がある秘書金烏玉兎集)を所有していることを知った。そこで道摩晴明妻・梨子と不倫関係となり、その秘書がどこにあるかを聞き出そうとした。自分と晴明の妻との仲がより親密になった見計らった道摩は、彼女からその秘書が石の箱に入っていることを聞き出した。しかし、その開け方は妻にも分からないと言う道摩はその箱を晴明不在のときに見せてもらい、何とかして箱を開けてしまった。そして晴明帰宅した時に「私はこの道秘書授かった」と彼に告げた晴明は「その秘書自分が唐に渡って修行してようやく手に入れたもの。お前が持っているはずが無い」と道摩叱った道摩は「今が晴明抹殺する好機」と「ではその秘書を私がもっていたらその首をいただく」と言い晴明はそれに応じてしまった。そして道摩は懐からあらかじめ書き取っておいた金烏玉兎集見せ晴明首を刎ねた。 同じころ、晴明金烏玉兎集授けた道上人は晴明殺されたことを察知し日本にやってきた。そして無残に殺され晴明の骨を拾い集め、術を掛けて蘇生させた。そして弟子殺され報復をするため、生き返った晴明と共に道摩と、晴明裏切った上に道摩の妻となっていた梨子元へ向かった。 伯道は道摩に「晴明はいるか」と尋ねた道摩は「かつてここにいたが、首を刎ねられて死んだ」と答えた。すると伯道が「そんなはずは無い。先ほど彼と会ったと言った道摩は「貴方の言うことこそ、そんなはずはない。もし晴明生きていたらこの首を差し上げよう」と答えた。そして伯道は先ほど蘇生した晴明呼び道摩見せた。こうして道摩約束通り首を刎ねられ、梨子殺害したという。 このことからこの書をみだりに浅はかな気持ちで読むことは死に値するとして、この書が秘伝中の秘伝であるということあらわし、この話を冒頭に置くことによってこの書の秘密性神聖性を高めた

※この「晴明朝臣入唐伝」の解説は、「三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集」の解説の一部です。
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