晴明丘小学校の創立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/13 01:08 UTC 版)
「大阪市立晴明丘小学校」の記事における「晴明丘小学校の創立」の解説
天下茶屋・阿部野の2つの小学校を1901年2月1日に統合し、天王寺村大字阿部野字南坂田256番地(現在地)に東成郡天王寺尋常小学校が開校した。この時開校した天王寺尋常小学校が、晴明丘小学校の直接的な起源となっている。開校当初は天王寺村役場に併設され、天王寺村全域を校区とした。当時の学校規模は、3学級172名だった。 1910年には高等科を併設し、東成郡天王寺尋常高等小学校に改称している。 天王寺村は住宅地として開発され、これに伴って地域の人口および就学児童数も急増した。このため大正時代には村に小学校が次々と増設されることになった。1912年4月1日には従来の校区から、大正通り(阿倍野霊園南側を東西に走っていた通り)およびその延長線の直線以北の地域を分離し、東成郡天王寺第二尋常小学校(現在の大阪市立常盤小学校)を開設した。 1919年から1923年にかけての4年間で新設校が次々とできたため、短期間の間に校区の再編を繰り返している。1919年9月5日には天王寺・天王寺第二の2校の校区を再編し、東成郡天王寺第三尋常小学校(現在の大阪市立丸山小学校)が開校した。また1921年1月8日には天王寺・天王寺第三の2校の校区を再編し、東成郡天王寺第四尋常小学校(現在の大阪市立天下茶屋小学校)が開校した。さらに1923年7月23日には、東成郡天王寺第六尋常小学校(現在の大阪市立阿倍野小学校)が分離している。 天王寺村は1925年4月1日、大阪市の第二次市域拡張により全域が大阪市に編入された。これに伴い大阪市天王寺尋常高等小学校へと改称している。 1934年9月21日の室戸台風では、一部校舎が倒壊する被害を受けている。1938年7月1日には、大阪市晴明丘尋常高等小学校へと改称した。
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