時胤の系譜の問題とは? わかりやすく解説

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時胤の系譜の問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/02 06:33 UTC 版)

千葉時胤」の記事における「時胤の系譜の問題」の解説

千葉氏系譜初期のもの考えられる神代本千葉系図』などの古い系図では、時胤を胤綱の長男とし、同じ系統伊豆山権現般若院系図』では、その弟に頼胤の後見務めた泰胤(次郎)を配置している。ところが、『吾妻鏡』によれば、胤綱の享年21であり、建保6年当時はまだ11歳に過ぎない。そこで江戸時代に『千葉大系図』が作成された際に先行系図誤りがあるとして胤綱と時胤を兄弟として父を成胤とした。ところが、時胤の生まれた年に成胤は死去しており、時胤に「次郎泰胤」と名乗る弟がいるのも誤りであるとして、泰胤を成胤の次郎すなわち「胤綱の弟・時胤の兄」とする系図に“修正”を行った。これは当時『吾妻鏡』比較信憑性が高い歴史書として重んじられてきたことによる部分大きい。 ところが、近年になって鎌倉時代後期創建であるとは言え創建当時から千葉氏密接なつながり有した本土寺過去帳に胤綱の享年31とする記述があることが問題視され『吾妻鏡』編纂された時に原史料からの引用誤って「年二十一」(安貞2年5月28日庚子条)としてしまったものを更に『千葉大系図』の編者信じて引用して、これに合わせる形で“修正”を行ったものと考えられるようになった続いて、『神代本千葉系図』と同様、九州千葉氏伝来された系譜元に作成されとみられる別系統の『徳島本千葉系図』『平朝臣徳嶋系図』(いずれも九州千葉氏庶流である元佐賀藩士・徳島家に伝来した系図)が発見され、そこには胤綱と時胤は『神代本千葉系図』と同じよう父子とされており、特に後者記述された胤綱の享年本土寺過去帳合致していることが確認された。本来は千葉氏宗家(時胤の嫡孫宗胤の直系)でありながら鎌倉時代末期一族内紛宗家地位失って下総本国から切り離され九州千葉氏には信頼性が高い系図史料伝わっていた可能性が高いとみられている。 また、時胤が胤綱の長男でないとした場合鎌倉時代後期千葉氏関係者によって書かれと言われている『源平闘諍録』にある“千葉氏当主長男継承され続けた”とする記述との矛盾や胤綱の没後「兄」である泰胤が千葉氏継承できなかったことの説明付かないという点で問題点発生するため、「時胤は胤綱の長男・泰胤の兄 」が実際正し系譜であると考えられている。なお、胤綱が31歳没したとすれば、時胤は21歳時の子となる。

※この「時胤の系譜の問題」の解説は、「千葉時胤」の解説の一部です。
「時胤の系譜の問題」を含む「千葉時胤」の記事については、「千葉時胤」の概要を参照ください。

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