映画女優 (1925年の映画)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/24 06:46 UTC 版)
映画女優 | |
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監督 | 細山喜代松 |
脚本 | 細山喜代松 |
製作 | 帝国キネマ演芸芦屋撮影所 |
出演者 | 葛木香一 千草香子 |
配給 | ![]() |
公開 | ![]() |
製作国 | ![]() |
言語 | 日本語 |
『映画女優』(えいがじょゆう)は、1925年(大正14年)製作・公開、細山喜代松監督の日本のサイレント映画である。
略歴・概要
日活向島撮影所出身、国際活映の設立メンバーとして同社の角筈撮影所第1回作品を手がけた細山喜代松が、関東大震災以降在籍した日活京都撮影所から移籍した帝国キネマ演芸芦屋撮影所で手がけた作品である。脚本は細山の書き下ろし、撮影は、国活時代に『新生さぬ仲』等でタッグを組んだ青島順一郎である。主演女優は、日活京都時代の1924年(大正13年)、細山が監督した『曠野を行く』で葛木香一と共演した千草香子であり[1]、葛木も本作の主演男優である。助演の水島亮太郎も日活向島出身で、1915年(大正4年)に細山が監督した『狂美人 (サロメ劇)』以来の細山組の常連で、細山が国活、日活京都と移籍するに伴って移籍している[2]。
本作のフィルムプリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターは所蔵していない[3]。
スタッフ・作品データ
- 監督・脚本:細山喜代松
- 撮影:青島順一郎
- 製作:帝国キネマ演芸芦屋撮影所
- 上映時間(巻数):6巻
- フォーマット:白黒映画 - スタンダードサイズ(1.33:1) - サイレント映画
- 公開日:
日本 1925年1月14日
- 配給:
帝国キネマ演芸
- 初回興行:大阪・芦辺劇場
キャスト
註
- ^ 曠野を行く、日本映画データベース、2009年11月29日閲覧。
- ^ 水島亮太郎、日本映画データベース、2009年11月29日閲覧。
- ^ 所蔵映画フィルム検索システムでの検索結果、東京国立近代美術館フィルムセンター、2009年11月29日閲覧。
外部リンク
「映画女優 (1925年の映画)」の例文・使い方・用例・文例
- 映画女優
- スウェーデンの映画女優(1915年−1982年)
- 米国の映画女優(1908年−1977年)
- 米国の映画女優(1908年−1989年)
- 米国の映画女優(ドイツ生まれ)で、ジョゼフ・フォン・スターンバーグと多くの映画を作り、後にキャバレースターとして成功した(1901年−1992年)
- 米国の映画女優で、ヘンリー・フォンダの娘(1937年生まれ)
- 米国の歌手で映画女優(1922年−1969年)
- 米国の映画女優で、D.W.グリフィスによる映画に出演した(1896年−1993年)
- 米国の映画女優で、クラークゲーブルといくつかの映画を製作した(1911年−1937年)
- 米国の映画女優で、スペンサー・トレイシーと多くの映画で共演した(1907年−2003年)
- 英国の映画女優で、後に英国議会の議員となった(1936年生まれ)
- 米国の映画女優で、モナコの皇族と結婚して引退した(1928年−1982年)
- 英国の映画女優(1913年−1967年)
- イタリアの映画女優(1934年生まれ)
- ギリシア人の映画女優(1925年−1994年)
- 米国の映画女優で、性的魅力で知られる(1926年−1962年)
- 米国の映画女優(カナダ生まれ)で、無声映画に出演した(1893年−1979年)
- 米国のダンサー、映画女優で、フレッド・アステアと組んだ(1911年−1995年)
- 米国の映画女優(1949年生まれ)
- 米国の映画女優で、幼年期にスターであった(イギリス生まれ)
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