明法道・有職故実の律令・官制研究
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「法制史」の記事における「明法道・有職故実の律令・官制研究」の解説
日本では明治以前においても明法道・有職故実の研究の一環として律令や格式、官制などの研究が行われる事もあったが、明法道にとっての律令格式や室町幕府の武家故実(御成敗式目などの鎌倉幕府の法令を含む)などは、形式上は現行法であったことに加えて明法家や故実家がこうした知識を家学化してその道の権威として自己の家格を維持するために用いられたために、知識そのものが「秘伝」とされ、あるいは蓄積された知識を用いて自己都合による解釈が行われるなど「学問」からかけ離れた側面も有した。 江戸時代中期以後になると、古辞学の発展の影響を受けて古い法制に関する研究が盛んになった。これは江戸幕府が自己の法体系の確立を進める中で、従来の法が現行法としての色彩を薄めてきたという事情もある。新井白石・本居宣長・塙保己一などが代表的な研究家として挙げられる。また、律令が中国法からの継受であるとされたことから、中国律令に関する研究も行われ、享保年間の伊藤東涯(『制度通』)や荻生北渓、高瀬喜朴の研究が知られ、『唐六典』の校勘を行った近衛家煕もここに含める事が出来る。ただし、こうした研究は儒学や国学からの派生的研究として行われていたこと、また動機の中に「先例」の1つとして実際の政治・法制へ生かすことが含まれていたことも特徴として挙げられる。また、壺井義知・伊勢貞丈ら有職故実研究の立場に立った律令・官制研究も展開されていくことになる。
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