明治初頭から現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:51 UTC 版)
「法住寺 (京都市)」の記事における「明治初頭から現在」の解説
明治に入ると、後白河天皇陵と妙法院門跡法親王の墓所が寺域から分離され、宮内省の管轄におかれた。明治の初め、東山渋谷にあった佛光寺から親鸞ゆかりとされる阿弥陀如来像や、親鸞そば喰いの像が移されている。法住寺は明治期から昭和にかけて「大興徳院」と寺名が改称されたが1955年(昭和30年)、法住寺に復名した。明治時代初頭に後白河天皇陵をまもるという役割は形式上は終わったが、陵に置かれている後白河法皇像の模作を1991年(平成3年)に造立し安置するなど、現在でも密接な関係を持っている。また法皇が愛した今様の歌合せも復元して行われている。 また、当寺は漫画『サザエさん』の作者・長谷川町子の菩提寺でもあり、法住寺正門の提灯には「サザエさん長谷川町子菩提寺」の札が掲げられている。長谷川が生前に『平家物語』ゆかりの地を探訪していた際に「静かでいいところ」として当寺の環境を気に入り、住職と親交を持ったことが縁となって没後に遺骨の一部が本寺へ分骨された。境内には長谷川直筆のサザエ・ワカメ・タラちゃんを描いた色紙が展示されている。
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