明治医会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 06:16 UTC 版)
日本医史中、明治後期には二つの勢力が存在した。一つは「大日本医師会(後に帝国連合医会)」で1893年(明治26年)につくられた医術開業免状を持つ開業医の団体で、理事長に高木兼寛、理事に長谷川泰・長与専斎・佐藤進・石黒忠悳等を中心にした東大設立以前または草創期の医師達の集まり。もう一つは「明治医会」と称し東大卒医師の集まり。明治会の中心はドイツ留学経験者でその主張の要点は近代医療を学んだ医師と江戸期から続く塾あがりの医師は知識・技術の点で差異があり同列に取り扱われること自体がおかしいとの意見を持っていた。田代は青山胤通・入沢達吉・川上元治郎等と共に明治医会の中心人物の一人であった。
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