明和〜天明年間
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田沼時代から天明歌舞伎の時代。 『須磨都源平躑躅』(すまの みやこ げんぺい つつじ) (宝暦13年・1763) 『扇屋熊谷』 『本朝廿四孝』(ほんちょう にじゅうし こう) (明和3年・1766)『筍掘り』、『勝頼切腹』、『道行似合の女夫丸』(みちゆき にあいの めおとがん)、『十種香』(じっしゅ こう)、『奥庭』(狐火) 『宿無団七時雨傘』(やどなし だんしち しぐれの からかさ) (明和5年・1768) 『宿無し団七』 『近江源氏先陣館』(おうみげんじ せんじん やかた) (明和7年・1770)『盛綱陣屋』(近八) 『日高川入相花王』(ひだかがわ いりあい ざくら) (明和7年・1770) 『日高川』 『妹背山婦女庭訓』(いもせやま おんな ていきん) (明和8年・1771)『芝六住家』、『吉野川』(山の段)、『道行恋苧環』(みちゆきこいのおだまき)、『御殿』 『大銀杏栄景清』(おおいちょう さかえ かげきよ) (享保17年・1732)『歌舞伎十八番之内 景清』 『伊達娘恋緋鹿子』(だてむすめ こいの ひがのこ) (安永2年・1773、改作安政3年・1856) 『櫓のお七』、『八百屋お七』 『其面影二人椀久』(そのおもかげ ににん わんきゅう) (安永3年・1774) 『二人椀久』 『桜鍔恨鮫鞘』(さくらつば うらみの さめざや) (安永3年・1774)『鰻谷』 『誂染曾我雛型』(おあつらえぞめ そがの ひながた) (安永3年・1774) 『歌舞伎十八番之内 鎌髭』 (六部) 『隅田川続俤』(すみだがわ ごにちの おもかげ) (『双面』安永4年・1775、『法界坊』天明4年・1784) 『競伊勢物語』(はでくらべ いせ ものがたり) (安永4年・1775) 『伊勢物語』『小よしの内』 『桂川連理柵』(かつらがわ れんりの しがらみ) (安永5年・1776) 『帯屋』 『天満宮菜種御供』(てんまんぐう なたねの ごくう) (安永6年・1777) 『時平の七笑』(しへいの ななわらい) 『恋飛脚大和往来』(こいびきゃく やまと おうらい、こいの たより やまと おうらい)(安永7年・1778) 『梅川忠兵衛』『封印切』、『新口村』 『伽羅先代萩』(めいぼく せんだい はぎ) (安永6年・1777) 『先代萩』『花水橋』、『高尾の吊斬り』、『竹の間』、『御殿』、『床下』、『対決』、『刃傷』 『伊達競阿国戯場』(だてくらべ おくに かぶき) (安永7年・1778) 『薫木累物語』(めいぼく かさね ものがたり) 『碁太平記白石噺』(ご たいへいき しろいし ばなし) (安永7年・1778)『田植え』、『雷門』、『揚屋』 『大願成就殿下茶屋聚』(たいがんじょうじゅ てんがちゃや むら) (天明元年・1781) 『敵討天下茶屋聚』(かたきうち てんがぢゃや むら)、『天下茶屋』 『加々見山旧錦絵』(かがみやま こきょうの にしきえ) (天明3年・1783)『草履打ち』 『伊賀越道中双六』(いがごえ どうちゅう すごろく) (天明3年・1783)『饅頭娘』、『奉書試合』、『沼津』、『遠眼鏡』、『岡崎』、『沼津』 『けいせい倭草子』(けいせい やまと ぞうし) (天明4年・1784) 『蝶の道行』 『積恋雪関扉』(つもる こい ゆきの せきのと) (天明4年・1784) 『関の扉』(せきのと) 『隅田川続俤』(すみだがわ ごにちのおもかげ)(天明4年・1784) 『法界坊』(ほうかいぼう) 『羽根の禿』(はねの かむろ) (天明5年・1785) 『花上野誉碑』(はなの うえの ほまれの いしぶみ) (天明8年・1788) 『志渡寺』(しどでら) 『戻駕色相肩』(もどり かご いろに あいかた) (天明8年・1788) 『戻駕』
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