明和噴火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:48 UTC 版)
文献記録によれば、1769年(明和6年)旧暦12月、有珠山は約100年ぶりに噴火した。この噴火の直後に書かれた記録は少なく、『福山秘府年歴部』に「有珠山が噴火し、アイヌがおののき避難した」と記されているのみである。一方、次の文政噴火の折に有珠善光寺の僧が地元のアイヌから「前回、御山が焼けた折(明和噴火)には一面に火が降り、タバ風(北西の風)でオサルベツ(長流川)沿いの家がすべて焼失した」との証言を得ていることから、明和噴火時に小規模な火砕流が発生したと推測される。山頂陥没部に現在の小有珠にあたる溶岩ドームが形成されたのは、この明和噴火か寛文噴火の時と考えられる。
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