旧連邦軍駐屯地
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マールブルクは何世紀もの間、軍隊の駐屯地であった。兵舎の歴史は街の創設にまで遡る。 プロイセンのヘッセン選帝侯領併合に伴い、マールブルクはプロイセン軍第11猟兵大隊の駐屯地となった。1868年にジュートフィールテルのケンプフラーゼン近郊にイェーガー兵舎(猟兵兵舎)が建設された。さらに1913年までに教練棟、士官クラブ、軍管区司令部などの建物が建てられていった。 第一次世界大戦とそれに続くヴェルサイユ条約の後、猟兵大隊の代わりにヴァイマル共和国軍第15歩兵連隊の教育大隊が配属された。1930年代に新しい兵舎が建設された。1937年、ケンプフラーゼンの新イェーガー兵舎とオッカースハウゼン近郊の森に造られたタンネンベルク兵舎である。 第二次世界大戦後は、まず1945年から1950年までアメリカ軍が、次いで1951年から1956年までフランス軍が両兵舎を利用した。 その後ドイツ連邦軍がこの駐屯地を引き継ぎ、第2猟兵師団がイェーガー兵舎に駐屯した。タンネンベルク兵舎には、第2通信大隊、第2衛生大隊と憲兵中隊が配置された。1960年代から1970年代に対空防衛のための兵舎も建設された。ここにはローラント対空防衛システムが配備された。 1990年代までにドイツ連邦軍の様々な部隊がマールブルクに駐屯した。主な部隊を以下に列記する。 イェーガー兵舎第330傷病者輸送大隊第2中隊 第740憲兵大隊第5中隊 マールブルク専門教育中隊 マールブルク軍食糧部 タンネンベルク兵舎第2通信大隊 憲兵中隊 第300対空防衛連隊 第2衛生大隊 第413衛生センター マールブルク駐屯地管理部 第471 地域防衛司令部 マールブルク駐屯地練兵場(ヘルマースハウゼンとエルンハウゼンとの間) 東西ドイツ再統一および連邦軍再編後、1990年代中期から後期に、両兵舎は廃止され、都市開発会社によって産業地域に転換された。これによりこの街の軍事都市としての長い歴史は幕を閉じた。
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