旧制学校のストーム
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「ストーム (学生生活)」の記事における「旧制学校のストーム」の解説
たいていの旧制高校ではストームが行われていた。公式の行事ではないため、また、形が多岐にわたるため、起源の特定は難しい。19世紀終わりから20世紀初頭頃までには、よく知られている形のストームはすでに存在していたとされ、また、1880年代前半頃には、寮2階の住人が床を踏み鳴らし1階の住人は天井をほうきで突くといった行為がよく行われていたという。 旧制高校の学生生活を描いた作品には、夜、学生寮で睡眠中に叩き起こされストームが始まるという場面が描かれていることも少なくない。説教ストームを除き、デカンショ節や寮歌などの歌と踊りが伴うやり方が多く見られる。 真夜中に突如、鍋や太鼓を打ち鳴らし寮歌やデカンショ節などを蛮声で歌いながら、数人から数十人が互いに肩を組んだりして寮の廊下を踏み鳴らし、棒で壁や床を叩き、各部屋で寝ている者を叩き起して回った。ストームの被害にあった者には、布団越しに叩かれた者あり(布団蒸し)、服を剥ぎ取られた者あり、酒を飲まされた者あったと言う。それをはやし立てる者、迎え撃つ者は水を浴びせる場合もある。 学校当局や寮の規則によって、時間帯や、試験期間中、対抗戦前などの期間によってストームを禁止していたり、あるいはストームそのものを禁止する場合もあった。しかしそれらは守られないことが多かったという。 戦後すぐの頃には食糧難のため生徒に充分な体力が備わらず、また戦況の悪化により旧制高校生も戦争に動員されたためストームおよび伝統の継承がままならず、ストームも沈静化したが、中には北杜夫(旧制松本高校)のように従来のストームの方法を知る上級生によって活発に行われた場合も多々ある。 新学制への変化、寄宿舎の減少、男女共学により男子生徒の文化であるバンカラの衰退などにより旧制高校以来のストームは一部を除き消え去ってしまった。
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