日田氏関連の城とは? わかりやすく解説

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日田氏関連の城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 14:24 UTC 版)

日田城」の記事における「日田氏関連の城」の解説

以下、城主家出自は『日田造領記』による。 日田郡老(日田奉行)の城 日田郡老とは、大友義鑑より旧大蔵日田氏家臣および一族の中から指名され日田郡政を治める者のこと。8名が指名されたため八奉行八郡老とも呼ばれた財津氏 藤山城(ふじやまじょう) - 大蔵氏日田氏永清財津氏居城日田市大字花月藤山町財津城ともいう。 『日田造領記』には「塁ハ内膝山ト云ニ在リ」とある。 羽野氏野城(はのじょう) - 大蔵氏日田氏財津永豊羽野氏居城日田市大字三和字城の辻、字城脇。現在の大分自動車道日田インターチェンジ付近にあった。羽野砦とも。 羽野鑑房は豊後佐伯毛利高政従い佐伯に移る。 坂本氏 坂本城さかもとじょう) - 坂本氏嫡流伯耆守家居城。日田市坂井町屋敷、字古城原城(はるんしろ)とも。西部笹尾城が付属する坂本氏出自不詳大蔵氏日田氏族とも。坂本鑑次は豊後佐伯毛利高政従い佐伯に移る。 石松氏 蕪城(かぶらじょう) - 大蔵氏日田永徳石松氏居城日田市大字西有田1651−1付近山城かぶらやまじょう)、石松城(いしまつじょう)ともいう。 堤氏 堤城つつみじょう) - 大蔵氏日田氏堤氏居城日田市上城内町城内公園付近大友氏ともされる佐藤氏 安禅寺砦(あんぜんじとりで) - 佐藤氏居城日田市小野殿町。小竹城、小升城ともいう。 高瀬氏 高瀬城(たかせじょう) - 大蔵氏日田氏高瀬氏居城日田市高瀬町坂本因幡守との高瀬合戦火攻め遭い落城高瀬氏滅亡世戸口氏 西池部城(にしいけべじょう) - 世戸口氏居城日田市池辺町日田郡有田郷西池部)。委細不明世戸口は「瀬戸口」とも書く。世戸口氏出自不詳大蔵氏日田氏族とも。『豊西記』の「日田郡地割之事」に、大蔵和市大正・昭和年間人物)が付記した注記には「瀬戸口某ありしが早く滅して、この検地時には其名見えず」とある。これにあ検地とは1589年天正17年)に行なわれ太閤検地のことである。 日田氏支城ほか諸氏の城 坂本因幡居城 - 坂本氏庶流因幡守家居城。名称は不明である。日田市石井町1丁目字古城真下国道210号寺内トンネル貫通している。 因幡守家本流江戸時代初めごろ石井立ち退くその後一族消息城館存廃不明諸富城(もろとみじょう) - 大友氏族師富氏の居城日田市諸留町城山。 師富氏は関ヶ原の戦いの時、九州起った石垣原の戦い参戦して敗戦後帰国その後消息不明諸富城の存廃不明出城(くしざきでじろ) - 大蔵氏日田氏支城日田市夜明字関。大蔵永秀築城1183年大宰府落ちてきた平宗盛平家抵抗するために築かれた。筑前国秋月原田種直らによる再三攻撃退けた

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