日田氏関連の城
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以下、城主家出自は『日田造領記』による。 日田郡老(日田八奉行)の城 日田郡老とは、大友義鑑より旧大蔵日田氏の家臣および一族の中から指名された日田郡政を治める者のこと。8名が指名されたため八奉行や八郡老とも呼ばれた。 財津氏 藤山城(ふじやまじょう) - 大蔵氏日田氏族永清流財津氏の居城。日田市大字花月藤山町。財津城ともいう。 『日田造領記』には「塁ハ内膝山ト云ニ在リ」とある。 羽野氏 羽野城(はのじょう) - 大蔵氏日田氏族財津永豊流羽野氏の居城。日田市大字三和字城の辻、字城脇。現在の大分自動車道日田インターチェンジ付近にあった。羽野砦とも。 羽野鑑房は豊後佐伯の毛利高政に従い佐伯に移る。 坂本氏 坂本城(さかもとじょう) - 坂本氏嫡流伯耆守家居城。日田市坂井町字屋敷、字古城。原城(はるんしろ)とも。西部に笹尾城が付属する。 坂本氏の出自は不詳。大蔵氏日田氏族とも。坂本鑑次は豊後佐伯の毛利高政に従い佐伯に移る。 石松氏 蕪城(かぶらじょう) - 大蔵氏族日田永徳流石松氏の居城。日田市大字西有田1651−1付近。 蕪山城(かぶらやまじょう)、石松城(いしまつじょう)ともいう。 堤氏 堤城(つつみじょう) - 大蔵氏日田氏族堤氏の居城。日田市上城内町城内公園付近。大友氏族ともされる。 佐藤氏 安禅寺砦(あんぜんじとりで) - 佐藤氏居城。日田市小野殿町。小竹城、小升城ともいう。 高瀬氏 高瀬城(たかせじょう) - 大蔵氏日田氏族高瀬氏の居城。日田市高瀬町。坂本因幡守との高瀬合戦で火攻めに遭い、落城。高瀬氏は滅亡。 世戸口氏 西池部城(にしいけべじょう) - 世戸口氏居城。日田市池辺町(日田郡有田郷西池部村)。委細不明。 世戸口は「瀬戸口」とも書く。世戸口氏の出自は不詳、大蔵氏日田氏族とも。『豊西記』の「日田郡地割之事」に、大蔵和市(大正・昭和年間の人物)が付記した注記には「瀬戸口某ありしが早く家滅して、この検地の時には其名見えず」とある。これにある検地とは1589年(天正17年)に行なわれた太閤検地のことである。 日田氏支城ほか諸氏の城 坂本因幡守居城 - 坂本氏庶流因幡守家居城。名称は不明である。日田市石井町1丁目字古城。真下に国道210号の寺内トンネルが貫通している。 因幡守家本流は江戸時代初めごろ石井を立ち退く。その後の一族の消息、城館の存廃は不明。 諸富城(もろとみじょう) - 大友氏族師富氏の居城。日田市諸留町字城山。 師富氏は関ヶ原の戦いの時、九州で起った石垣原の戦いに参戦して敗戦後帰国。その後の消息は不明。諸富城の存廃も不明。 櫛崎出城(くしざきでじろ) - 大蔵氏日田氏支城。日田市夜明字関。大蔵永秀築城。 1183年、大宰府に落ちてきた平宗盛ら平家に抵抗するために築かれた。筑前国秋月の原田種直らによる再三の攻撃を退けた。
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