日本語説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:46 UTC 版)
旧気仙郡の「ケセ」に「マ」がついたものという説。気仙沼は本吉郡に属していたが、本吉郡は早ければ1153年、遅くとも1189年に気仙郡の南半と桃生郡の北部とを分割して成立したものであり、それ以前は気仙沼は気仙郡に属していたという説と、気仙郡は含まれず桃生郡の北部だけで建郡し、それ以前は気仙沼は桃生郡に属していたという説がある。 ケセの語源(気仙郡の地名語源と同じ) 1)古語で船を岸に繋ぎ留めておく棒や杭を「かせ」「かし」等といい、その「かせ」の訛りという説。 2)ケセは「削りを背負う」で岩磯つまりリアス式海岸のことだという説。 3)海道の入り口という意味の漢語で、「滊先」(けせん)を当て字で書いたという説。 ケセ+マの解釈 1)ケセ+「間」説。マは土間、根間、茶の間など「場所」を意味する。茨城県の「鹿島」という地名は船着場を意味する「かせ間」が語源であり、計仙麻(ケセマ)や気仙沼も「カセ間」の訛りで、茨城県の「鹿島」と同語源という説。 2)ケセ+「前」説。本吉郡が設置される以前、まだ気仙郡に属していた頃、この地は気仙郡の南端だったので、ケセ(気仙)の入口の意味で計仙前/気仙前(けせのくち)と書いたのを、ケセノマエと誤読したのが訛って計仙麻(けせんま)になったという説。この場合『和名抄』の「気前郷」の読み方は初め「けせのくち郷」でのちに訛って「けせまえ郷」と読んだ可能性と、初めから「けせまえ郷」あるいは「けまえ郷」だった可能性とがある。本吉郡は気仙郡の南部と桃生郡の北部を合わせたものという説と気仙郡は含まれず桃生郡の北部だけで建郡したという説があり、後者の説が正しければ「気前郷」は無関係となる(ただしケセまたはケセマという小地名は気仙郡の郡境を越えて気仙沼の南北に散在しているので、「気前郷」が関係なくともこの説が成り立たないわけではない)。 3)ケセ+「真」説。計仙麻(ケセマ)のマは正真正銘を意味する「真」で、「ケセ(気仙)の真ん中」あるいは「ケセの中のケセ」という意味だという説。
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