日本海軍にて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 14:20 UTC 版)
「U511 (潜水艦)」の記事における「日本海軍にて」の解説
1943年9月16日に日本海軍の艦籍に入り、「呂号第五百潜水艦」と命名された。本籍を呉鎮守府とし呉鎮守府警備潜水艦に定められた。 無事に日本に届いたものの、日本では必要な高精度の部品が用意できず、前述の回航目的は達成できずに終わった。 日本では、実戦には投入されず、対潜訓練隊(後の第五十一戦隊)で訓練目標として使用された。ソ連対日参戦に伴い樺太方面へ出撃することとなったが、舞鶴で待機中に終戦を迎えた。撃沈総数は5隻、計41,373トンにのぼる。また、商船1隻、8,773トンに損傷を与えた。 1945年11月30日に除籍され、1946年4月30日に米軍によって若狭湾で海没処分された。 2018年6月18日~21日に行われた浦環らによる若狭湾の調査で、冠島(京都府舞鶴市)付近で水深約90メートルの海底に眠る船体が確認された。近くには同じく海没処分された呂号第六十八潜水艦、伊号第百二十一潜水艦も見つかっている。
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