日本書紀私記
主名称: | 日本書紀私記 |
指定番号: | 2252 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1971.06.22(昭和46.06.22) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 応永丗五年正月十五日髪長吉叟書写奥書 |
員数: | 1冊 |
時代区分: | 室町 |
年代: | 1428 |
検索年代: | |
解説文: | 奈良時代から平安時代にかけて作られた「日本書紀」の読み方を注記した書で、これに甲乙丙丁の四本が知られているうち(新訂増補国史大系巻第八所収)、本書は乙本に属し、「応永本」あるいは「御巫本【みかなぎぼん】」として知られる。末尾の奥書により、応永三十五年(一四二八)平野神社の伝本を僧吉叟(八十一歳)が書写したものである。「日本書紀」の訓読研究上に貴重な史料である。 |
日本書紀私記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 08:50 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動『日本書紀私記』(にほんしょきしき)は、平安時代に行われた『日本書紀』の講書の内容をまとめた書物である。『日本紀私記』(にほんぎしき)ともいう。
概要
『日本書紀』については、平安時代には弘仁3年(812年)、承和10年(843年)、元慶2年(878年)、延喜4年(904年)、承平6年(936年)、康保2年(965年)の6回の講書「日本紀講筵」が行われたとされる[1]。
『日本書紀私記』は、これらの講書の記録であり、種々のものが作成されたと考えられているが、現存するものとしては甲乙丙丁の四種が知られている。甲乙丙本は水戸の彰考館に伝えられたもので、彰考館本と呼ばれる。また、丁本は六人部氏本と呼ばれる。これらがどの時代の講書であるかは定かではないのだが、甲本は『弘仁私記』と呼ばれることがある[1]。
鎌倉時代に成立した『釈日本紀』にも、元慶や承平の私記が引用されており、『日本書紀私記』は『日本書紀』を解釈する上で重要な史料である。
脚注
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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