日本国の歴史的位置付け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:54 UTC 版)
「反日亡国論」の記事における「日本国の歴史的位置付け」の解説
詳細は「日本原住民論」を参照 皇室の起源は騎馬民族征服王朝説に基づき大陸から渡来したとされる。つまり日本全土が侵略で得た征服地であるとする。「被征服民」は、やがて皇室に連なる「天孫民族」と同化し農耕民族となり、同化を拒否した一部「被征服民」は部落民となった。中世以降も南北に着々と侵略を進めていき、明治になって「アイヌモシリ」や琉球王国を併呑し、内地における侵略を完了させた。このように、日本国の歴史はまさに「侵略と搾取の歴史」に他ならないとされる。このような「侵略の伝統」があるからこそ、日本によるアジア・世界侵略が起こったのだとする。また左翼歴史家の中には、「民衆史観」といって自由民権運動などの民衆から湧き上った政治運動を高く評価する者がいるが、これら民衆も所詮は「犯罪国家・日本」の構成員にすぎず、アイヌや琉球民族の犠牲の上に生活が成り立っているとし、これらの政治運動も全面否定している。1918年に発生した米騒動も植民地人民から米を収奪するきっかけを作りだした、単なる「米暴動」に過ぎないと切り捨てている。
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