日本の明治期における実物教授の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 23:37 UTC 版)
「実物教授」の記事における「日本の明治期における実物教授の導入」の解説
日本の初等教育に実物教授が取り入れられたのは、明治初期であるが、それまでの教育方法は読書をもって学問の本領をなすと考えられ、素読暗唱が良しとされていた。一方、江戸時代の「往来物」のような庶民のための実践的、実用的な生活の知恵の教えは、実物教授にも通じるものといってよいだろう。 「マリオン・スコットによって日本に導入された新教授法には当時アメリカで盛んとなっていたペスタロッチ主義の実物教授の方法が含まれていた。この実物教授(object lessons)は当時日本で「庶物指教」と呼ばれた。そしてカルキンズ(N.A.Calkins)やシェルドン(E.A.Sheldon)などの著書も翻訳され、『加爾均氏庶物指教』(明治10年)、『塞児敦氏庶物指教』(明治11年)として文部省から出版されている。これが師範学校制定の小学教則に示された新教科である「問答」において行なわれたのであるが、当時はペスタロッチ主義の教授方法を正しく理解するまでには至っていなかった。したがって当時の問答教授は形式的な「問」と「答」があらかじめ用意され、これを繰り返すことによる注入教授に過ぎなかった。このことは当時出版された多くの教授書からも知ることができる。」 明治初期の教科書の多くは、ペスタロッチ主義で構成されたものであった。国語読本、算術、歴史、地理など。例えば、算術の授業方法は、数字を綴らせ、読みを教え、書取をさせて、数的概念を教え、それから計算に進むというものであった。明治20年(1887年)代に入ると、「開発教授」に代わって、体系を重視するヘルバルト主義の教授法が積極的に導入され、より効率的な伝達の方式として認められ、主流になっていった。その結果、ペスタロッチ主義の教授法は一時注目されることは少なくなった。しかし、第二次世界大戦後、再び、教育の原点回帰が起こり、ペスタロッチ、フレーベルの見直しがなされるようになってきた。
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