日本におけるILGAの活動
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「国際レズビアン・ゲイ協会」の記事における「日本におけるILGAの活動」の解説
ILGA日本支部は「IGA日本」として1984年に発足した。ゲイ雑誌「アドン」の編集長(当時)の南定四郎がIGA本部の呼びかけに応えて活動を始めたもの。同年には(東京から見て)支部としての位置づけで「IGA日本・大阪」もできているが、1988年の第一回全国大会後に南より「今後ILGAの名称を使うことは認めない」という通知が届いたことにより、「OGC」(大阪ゲイ・コミュニティ)として独立した。「日本でのIGAの活動に関しては、自分が任されているから」というのがその理由だったが、ILGAは各LGBT団体が個別に加盟できる組織であり、南の通知は越権行為であった。 1986年発足の「OCCUR」(後「動くゲイとレズビアンの会」と名乗る)もILGA日本から分離独立したものである。またILGA日本には青年部門「together」があったほか、togetherのメンバーが設立や運営に関わった「GLOW」や「AIDSケアプロジェクト」などの源流にもなった。1991年には東京国際レズビアン&ゲイ映画祭がILGA日本に加盟する非営利団体として発足した。 当初は月一回のセミナー開催、機関誌「JOIN」の発行と共に、エイズパニックが起きた時期ということもあり、「エイズ110番」の開設などが行われた。東京四谷に「IGAクラブ」という、賛同者らがミーティングなどに使えるパブリックスペースがあった。以下に活動史に触れるが、1996年に活動基盤になっていたアドンが廃刊されたこともあり、同年の第3回東京レズビアン・ゲイ・パレード以降は目立った活動が見られなくなった。 1986年5月1日〜3日まで、アジア初の「第一回アジアゲイ会議」が開催された。 1987年8月17日〜22日、第一回全国大会(OCCURメンバーなども参加)が開かれ、「ILGA日本」に改称された。 1994年8月には、日本初の「東京レズビアン・ゲイ・パレード」がILGA日本が中心となった実行委員会の主催で開かれた。
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