日本における災害ボランティア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 09:29 UTC 版)
「災害ボランティア」の記事における「日本における災害ボランティア」の解説
古くは、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災において、当時の東京帝国大学の学生が、上野公園などで被災者の救援にあたった記録がある。この際、上野公園内に、帝大生達が被災者のために仮設トイレを建設しようとした時、公園管理者との間で押し問答になり、帝大生の「ならば上野公園は糞の山になるがそれでも構わないのか」との言葉が殺し文句となり、仮設トイレが許可されたと言う。またそれを見た被災者は、「帝大生が厠を作るんだから自分達も頑張らないと」と奮起したとされる。 また1948年(昭和23年)6月28日の福井地震では、東京学生同盟や、京都府、島根県の青年団が駆けつけ、地震で破壊された堤防を修復し、被災者への食料配給などを行ったほか、YMCAが授乳所を運営、永平寺の雲水(修行僧)が、青空学級を開講した等の記録がある。 近年では、1990年(平成2年)から1995年(平成7年)にかけての雲仙噴火災害に災害ボランティアが活躍したほか、阪神・淡路大震災直前の1993年(平成5年)7月の北海道南西沖地震において、救援物資の搬入、仕分けなどに延べ9,000人のボランティアが活躍した。(防災白書から)
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