日本における爆竹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 21:18 UTC 版)
日本でも古くから小正月や節分の催事として「爆竹」と呼ばれるものがあったようで、鎌倉時代の1251年(建長3年)1月16日、後嵯峨上皇が爆竹を見たという記事がみえている(『辨内侍日記』)。ただしこれは青竹を燃やし音を立てるもので、火薬を用いたものではない。この催事は現在でもドンド焼きや左義長と呼ばれて各地に伝承されている。 中国から流入した爆竹の文化は日本でも定着し、玩具として使用されるほか、地域によっては祭礼などに用いられる。長崎県内各地でお盆期間に行われる精霊流しが特に有名であり、その他、手筒花火などの火薬文化で知られる愛知県豊橋市も有名で、神社の境内で爆竹を鳴らしたり、爆竹を鳴らしながら神輿を担ぐ風習がみられる。豊橋市を中心とする東三河地域の他、岐阜県の手力の火祭での使用例なども知られる。 1966年までは「2B弾」などという一般的な爆竹よりも大きく牛乳ビンを破壊するほどの威力を持つ爆竹も売られていたが、「危険」とされて発売中止になった。
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