日本における最初の社会学体系を樹立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 01:19 UTC 版)
「建部遯吾」の記事における「日本における最初の社会学体系を樹立」の解説
社会学はフランスのオーギュスト・コント、イギリスのハーバート・スペンサーらが19世紀前半に確立した比較的新しい学問で、日本には明治10年代、アーネスト・フェノロサや外山正一によって紹介された。建部遯吾はそれを受けて研究を進め、コントの実証主義哲学の学説に東洋哲学儒学の精神を加味して、日本における最初の社会学体系を樹立した。そして彼の社会学は、コント社会学に拠るとはいえ、単なる祖述に終ってはいなかった。彼の独自性を反映した社会学を特徴づけているのは、実践性であった。膨大な体系であってもその背後に実践的な意欲・試みが反映されていた。 そのことは例えばアダム・スミスの「国富論」やカール・マルクスの「資本論」に接すれば理解されるのだという。そして見逃してはならないことは、“治国平天下”という儒学精神と“日本の国家を如何にすべきか”という理念がその体系を貫いており、しかもその体系的展開が非常に雄大な規模を誇っていて、しかも理論的であった。松本潤一郎によれば、日本の社会学の基礎を築いたばかりでなく、建部社会学は国際的にも20世紀初頭の社会学の代表的一形式であると認められ、大道安次郎によれば、本書こそは明治時代における日本社会学会にひとつのエポックをつくったといえるということである。
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