日本におけるオートローンの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 16:24 UTC 版)
「オートローン」の記事における「日本におけるオートローンの歴史」の解説
戦後、大衆車が発売されても、自動車は他の耐久消費財と比べると高額商品であった。そのため、1960年にはプリンス自動車(現 日産自動車)がオートローンを提供している。 1980年代になると、販売会社は販売を促進するために、月々の返済額を抑える割賦販売方式を導入した。この方式は2者間契約(購入者が代金を分割して払う契約を、販売会社と結ぶ)で、マル専手形を使用する仕組みとなっている。マル専手形は不渡りが出れば販売会社が取り立てを行う必要があった。一方で、不渡りが発生しなければ割賦金利が販売会社の収益となった。 やがて自動車市場の拡大に伴い中古車市場も拡大すると、中古車向けローンの取り扱いを通じて信販会社がオートローン市場に参入することになる。 また、バブル景気後の経済停滞によってオートローンが不良債権化すると、販売会社の社員における債権回収業務の負担が増加した。そのため、自動車製造企業がファイナンス会社を設立し、オートローン市場に参入することとなった。こうしたメーカー系ファイナンス会社の事業は、当初はオートローンを中心としたものとなっていたが、次第にクレジットカード業などへの事業比重が高まっている。ちなみに、メーカー系ファイナンス会社でも、日本企業と外国企業ではローンの目的が異なる。日本企業が金利収入を目的としているのに対して、外国企業は販促手段としてオートローンを使用するという。
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