日中戦争、湖南起義
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日中戦争(抗日戦争)勃発後の1937年(民国27年)10月25日、程潜は第1戦区司令長官に任命され、翌年2月には河南省政府主席も兼ねた。5月には蘭封会戦を指揮し、土肥原賢二率いる第14師団を包囲・攻撃している。11月、軍事委員会委員長天水行営主任に転じ、翌年5月、陸軍一級上将に昇進した。1940年(民国29年)5月、副参謀総長に任ぜられ、また戦地党政委員会副主任委員もつとめている。 日中戦争終結後の1945年(民国34年)12月、程潜は軍事委員会委員長武漢行営主任に任命された。1948年(民国37年)春、中華民国副総統選挙に参加したが、李宗仁に敗れた。その後、長沙綏靖公署主任兼湖南省政府主席となる。程はこの頃から、中国共産党から秘密裏に蜂起を働きかけられていく。翌1949年(民国38年)8月4日、程は後任の湖南省政府主席陳明仁と共に起義を宣言し、中国共産党側に転じた。 中華人民共和国では、中央人民政府委員会委員、中南軍政委員会副主席、湖南省省長、中国人民政治協商会議全国委員会常務委員、国防委員会副主席、全国人民代表大会常務委員会副委員長、中国国民党革命委員会(民革)中央副主席などを歴任した。 1968年4月5日、北京市で死去。享年87(満86歳)。
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