日中戦争、福建省政府主席とは? わかりやすく解説

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日中戦争、福建省政府主席

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 01:15 UTC 版)

劉建緒」の記事における「日中戦争、福建省政府主席」の解説

1935年民国24年9月何鍵湖南省政府主席罷免されると、劉建緒は第4路軍総指揮として江蘇浙江方面動員される。同年11月中国国民党第5回全国代表大会で中央執行委員候補選出された。翌年9月には陸軍上将の位を授与され同年冬には閩浙皖贛辺区綏靖主任として衢州駐屯している。 日中戦争抗日戦争)が勃発すると、劉建緒は第10集団軍総司令任命され浙江海防担当した9月上海へ増援として派遣され10月には張発奎後任として右翼総司令務める。劉は懸命に抗戦した日本軍火力前に圧倒され大損害を被って衢州まで後退した12月第23軍軍団長昇進している。その後日本軍交戦する機会はほとんどなかったものの、1940年民国29年7月第3戦区副司長官昇進している。その間、劉は浙江省政府主席黄紹竑交遊し、政治的に良く連携した1941年民国30年8月劉建緒陳儀後任として福建省政府主席任命されあわせて25集団軍総司令に任ぜられた。しかし、まもなく集団軍総司令地位部下覚(湘軍出身)に移り、劉の軍指揮権剥奪されてしまう。1945年民国34年)、国民党第6期中央執行委員選出された。福建省政府主席としての劉は、前任者確立した行政制度登用し人材活用して大きな変更加えずまた、外省人としての立場踏まえて強権行使回避極力努めている。その結果、劉の福建統治7年長期にわたり、しかも省内秩序混乱を滅多に引き起こさなかった。

※この「日中戦争、福建省政府主席」の解説は、「劉建緒」の解説の一部です。
「日中戦争、福建省政府主席」を含む「劉建緒」の記事については、「劉建緒」の概要を参照ください。

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