日中戦争、福建省政府主席
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1935年(民国24年)9月、何鍵が湖南省政府主席を罷免されると、劉建緒は第4路軍総指揮として江蘇・浙江方面へ動員される。同年11月の中国国民党第5回全国代表大会で中央執行委員候補に選出された。翌年9月には陸軍上将の位を授与され、同年冬には閩浙皖贛辺区綏靖主任として衢州に駐屯している。 日中戦争(抗日戦争)が勃発すると、劉建緒は第10集団軍総司令に任命され、浙江の海防を担当した。9月、上海へ増援として派遣され、10月には張発奎の後任として右翼軍総司令を務める。劉は懸命に抗戦したが日本軍の火力の前に圧倒され、大損害を被って衢州まで後退した。12月、第23軍団軍団長に昇進している。その後は日本軍と交戦する機会はほとんどなかったものの、1940年(民国29年)7月、第3戦区副司令長官に昇進している。その間、劉は浙江省政府主席黄紹竑と交遊し、政治的にも良く連携した。 1941年(民国30年)8月、劉建緒は陳儀の後任として福建省政府主席に任命され、あわせて第25集団軍総司令に任ぜられた。しかし、まもなく集団軍総司令の地位は部下の李覚(湘軍出身)に移り、劉の軍指揮権は剥奪されてしまう。1945年(民国34年)、国民党第6期中央執行委員に選出された。福建省政府主席としての劉は、前任者が確立した行政制度や登用した人材を活用して大きな変更を加えず、また、外省人としての立場を踏まえて強権行使の回避に極力努めている。その結果、劉の福建統治は7年の長期にわたり、しかも省内秩序の混乱を滅多に引き起こさなかった。
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