新校舎に伴う越境とその後の越境規制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 03:32 UTC 版)
「世田谷区立烏山中学校」の記事における「新校舎に伴う越境とその後の越境規制」の解説
1980年代は烏山中学の地域での評判は非常に悪く、中央高速道路以南で不良のテリトリーと言った概念が強かったが本田仁教諭現職(平成24年度に副校長に)の尽力により区内でも優良な中学に様変わりした。2004年の新校舎建設に当たり生徒はプレハブ校舎の使用を強いられこの年度までの工期中、学区内小学校からの烏山中学校進学率が低下したが、2004年4月の新校舎開校年度から人気が急上昇し、本来上祖師谷中学校区域などの地区に住む生徒が多く烏山中学校に越境した。しかし最近の越境規制の強化に伴いここ数年は学区外からの越境がほぼ不可能となり近隣中学との進学者数バランスが戻りつつある。 烏山中学校は世田谷区の最北端西北に位置するため、校舎が学区の最南端に存在し、区内最北端(烏山通り北端など)からの通学時間が1時間近くなり、逆に甲州街道近辺に住む生徒が最寄である烏山中学に進学できず上祖師谷中学に進学を強いられる問題があり越境規制は烏山近隣住民には地理的に不合理にならざるを得ない。
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