新校舎と禁酒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 04:52 UTC 版)
「津幡町立河合谷小学校」の記事における「新校舎と禁酒」の解説
河合谷村で初等教育を整備するには、老朽化した校舎を建て替える必要があった。内閣総理大臣の年俸が12,000円、小学校本科正教員の月俸が40円から180円の当時、校舎の建設費は45,000円弱と見積もられていたが、それだけの予算は河合谷村にはなく、老朽化した校舎を継続して使用するのにも限界があった。 小学校に通学する児童たちのために、いかにして建設費を捻出するかの会合が1926年(大正15年)に村役場で行われ、河合谷村自治改良委員会によって「全村民で酒を飲んだつもりで毎日最低5銭以上を貯金する」という「つもり貯金」を実施し、全村民が禁酒を行うという提案が行われる。この禁酒提案に至るまで、農業の改良、勤倹貯蓄など様々な提案はあったが、いずれもこれまで著しい効果が出なかった経験と、村内における酒の消費量が毎年80石を下回らず、金額にして約9,000円(当時の額面)という数字により、禁酒を行えば5年間で4万5,000円の捻出が可能になるというものであった。
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