河合谷村とは? わかりやすく解説

河合谷村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 20:28 UTC 版)

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かあいだにむら
河合谷村
廃止日 1954年5月16日
廃止理由 編入合併
河合谷村津幡町
現在の自治体 津幡町
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
羽咋郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,736
(1953年)
隣接自治体 石川県:河北郡津幡町(旧英田村の区域)、金津村高松町羽咋郡南大海村北大海村北荘村
富山県:西礪波郡石動町五位山村
河合谷村役場
所在地 石川県羽咋郡河合谷村上河合
座標 北緯36度44分16秒 東経136度47分50秒 / 北緯36.73775度 東経136.79733度 / 36.73775; 136.79733座標: 北緯36度44分16秒 東経136度47分50秒 / 北緯36.73775度 東経136.79733度 / 36.73775; 136.79733
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河合谷村(かあいだにむら)[1]は、石川県羽咋郡に存在した村。

村名はこの地域の通称に依った。現在の津幡町の中では、令制国の区分においては唯一能登国に属していた地域であり、能登国の中では一番南に位置していた。「かわいだにむら」とも称した。

地理

  • 現在の津幡町の最北部、大海川の上流部に位置する。東方は富山県に接する。全体的に宝達丘陵南部の丘陵地。
  • 現在は国道471号がこの地域を通る。
  • 川:大海川、瓜生川
  • 山:三国山 (324m)、焼山、河合山、興津峠

歴史

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により、大田村、下河合村、上河合村、牛首村、瓜生村が合併し、羽咋郡河合谷村成立。
  • 1926年大正15年)4月1日 - 全村民による禁酒が始まる。
  • 1948年(昭和23年)7月25日 - 集中豪雨により大海川が増水。橋が流される[2]
  • 1952年昭和27年)4月1日 - 高松駅までの村営バスの運行が開始される。
  • 1954年(昭和29年)5月16日 - 津幡町に編入される。村役場のあったあとには、河合谷ふれあいセンター(津幡町役場河合谷出張所)がある。

禁酒村

1926年大正15年)の4月1日から、河合谷村の全村民が小学校建築費を捻出するために禁酒を行った。

詳細は津幡町立河合谷小学校を参照。

脚注

  1. ^ 現在は河合谷ふれあいセンターホームページなどでは「かわいだに」と言う読み仮名になっているが、『角川日本地名大辞典 石川県』、『消えた市町村名辞典』(編者・楠原佑介)においては、「かあいだに」という読み仮名になっている。
  2. ^ 「北陸三県に豪雨禍」『朝日新聞』昭和23年7月26日.2面

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