斯加式十二糎速射加農を搭載した車輌
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「ジロ車」の記事における「斯加式十二糎速射加農を搭載した車輌」の解説
ジロ車とは別に九五式重戦車の4号車を改造、斯加式十二糎速射加農と見られる砲を搭載した車輌があり、この車輌は海軍館山飛行場で終戦直後にアメリカ軍によって撮影されている。一説には本車の呼称を「ヒロ車」とする。 『日本の戦車』略図と戦後の撮影写真では、斯加式十二糎速射加農と見られる砲を搭載した自走砲が確認できる。日本陸軍戦車の設計開発に深く関わった原乙未生中将は、戦後に『日本の戦車』を監修したが、その著作の中で「九五式重戦車を改造、防盾付きの十加を搭載した試製10センチ自走砲」に言及し、上記の写真とほぼ同一形状の略図が記載されている。しかし写真及び略図が示す火砲の駐退器は斯加式十二糎速射加農砲のみが持つ特徴を持ち、九二式十糎加農とは適合しない。 斯加式十二糎速射加農を搭載したと見られる自走砲の開発経緯は判然としない。陸軍の構想では、1941年8月策定の「砲戦車及自走砲ノ体系第一案」において基筒式の火砲を搭載した自走砲について言及している。1944年(昭和19年)度中の整備計画に本自走砲は登場しないことから、1945年(昭和20年)前半に登場したものと推定される。 この車輌は九五式重戦車の上部砲塔と前方砲塔を撤去、戦闘室上面をオープントップとし、この空間に防盾を備えた砲を搭載している。砲側面・後方は装甲板によって覆われていない。車体前面に機銃は装備されていない。後方銃塔は残されたままであるが、撮影写真では、機銃は装備されていない。撮影写真からは自走砲に迷彩が施されていることが確認できる。
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