斎藤洋一の学説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 09:50 UTC 版)
信州農村開発史研究所で部落差別を研究している斎藤洋一は、江戸時代の身分制度を考察するには、支配層の武士階級と被支配層の平人(百姓・町人・えた、ひにん)という分け方と、社会の営みの中にいる「武士・百姓・町人」と社会から排除されていた「えた・ひにん」という二通りの分類で捉える必要があるとしている。 斎藤は、上下関係だけで評価すれば「百姓・町人・えた、ひにん」は、皆等しく武士に支配された身分であり、社会的交流や人間づきあいという意味では「武士・百姓・町人」と違って「えた・ひにん」は、明確な差別を受けていたとする。また、えた・ひにんの生活は、その全てが悲惨なものでなく、死体処理や皮産業や医療等の形式で社会に参加し、中には経済的に豊かになった者もいたが、仮に豊かになっても商取引の際に、相手がえた・ひにんである事が知られると忌避されたり、えた・ひにんの分際で経済的に豊かになる事自体が分不相応であるとして、周囲から活動を抑圧されるなどの事例があったとしている。 斎藤は、差別の発生は、江戸幕府の政策のみに原因があるのではなく、江戸以前の中世から既に存在した、血や死などの「ケガレ」に関わる職業の人間への畏怖や畏敬といった感覚が、一般民衆の間で徐々にマイナスの差別意識へと変貌していった事も、原因だったという見解を述べている。
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