文車と文庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/03 06:47 UTC 版)
ここで注意しなければならないのは、文車に納められた蔵書・文書と文庫に残された蔵書・文書の違いである。文車に納められた蔵書・文書は日常の公事や儀式で用いられる可能性が高いものが中心であった。例えば、日記や儀式書などの写本などがそれにあたる。院政期に入ると、天皇や治天の君の御所がたびたび移動し、その度に摂関以下の有力公卿や側近たちは御所の近辺に邸宅を移転したり借り受ける必要が生じた。また、郊外の白河・鳥羽など平安京の外縁にまで活動範囲が拡大した。そのため、公家の中には平安京内の本宅などにあった文庫から必要な蔵書・文書を取り出すよりも日常の公事や儀式に必要になる蔵書・文書を予め取り出しておき、邸宅の移転や急な召集などに対応するために車両に積んだのが文車であったと考えられている。これに対して破損が懸念される貴重な蔵書・文書の原本や反対に緊急に用いられることの少ないものは引き続き文庫に保管されたと考えられている。摂政藤原忠実が白河法皇に新しい車倉(文車)を献上し、その使用開始の儀式の際に最初に納めたのが、忠実が属する御堂流摂関家を築いた藤原道長の日記『御堂関白記』の写本であったことが、文車と日常の公務とのつながりを示していると考えられている(『殿暦』天永3年11月10日・永久元年6月7日両条)。
※この「文車と文庫」の解説は、「文車」の解説の一部です。
「文車と文庫」を含む「文車」の記事については、「文車」の概要を参照ください。
- 文車と文庫のページへのリンク