文繁本と文簡本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 15:54 UTC 版)
現在に残る『水滸伝』のテキストには種類が多くある。明代の長篇小説では、より精細な叙述で情趣豊かに語られる文繁本と、筋立てを重視して煩雑な表現を簡略化し分量を減らした文簡本に大きく分けられることが多く、『水滸伝』にも文繁本系統と文簡本系統の2系統が存在する。便宜上、回数(回は現在の章にあたる)の長さで分類する。現存する主だったテキストは以下の通りである。 文繁本系統七十回本、百回本、百二十回本 文簡本系統百十回本、百十五回本、百二十四回本 文簡本は手早く話の筋を追いたい読者向けというだけではなく、文章量を減らした分の空きスペースを利用して挿絵を挿入することで(挿図本)、知識レベルの低い読者にイメージを伝え読みやすくする目的もあった(全ページ挿絵入りの本を「全相本」と呼ぶ)。成立史からいえば、文簡本は百回本を簡潔化した上で、百二十回本に先んじて田・王征伐故事(後述)を挿入したものであり、成立自体は文繁本よりも遅れる。そこで、ここでは文繁本の成立のみに注目する。 文繁本3種のうち、中国では清代中期以降、七十回本が隆盛し、他の版本の存在が忘れられるほどとなった。日本では江戸時代前期に輸入されて以降、最も回数の多い百二十回本が完全と見なされたが、百回本も存在した。中国で百回本・百二十回本が「再発見」されたのは、魯迅ら日本への留学生が、日本で発見した版本を逆輸入して以降である。話の上では七十回本でも完結した印象を受ける(七十回以前と以降で筋立ての独立性が高い)上、文章の性質からも前半部は白話(口語)表現が多いのに対し、後半部は文言表現が多いなど、文体の上からも別の作者によって書かれた形跡がある。そのため先に七十回本が存在して、それに後日談を加えたものが百回本・百二十回本であるようにも見えるが、現在では以下のような様々な研究から実際には百回本→百二十回本→七十回本の順に成立したことが判明している。
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