文学の中の宮城野
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宮城野は歌枕として歌に詠まれた。宮城野を詠んだ歌の例として、以下のものがある。 宮城野を思ひ出でつつ植えしけるもとあらの小萩花咲きにけり(能因『能因集』) 萩が枝の露ためず吹く秋風に牡鹿鳴くなり宮城野の原(西行『山家集』) うつりあへぬ花の千種にみだれつつ風の上なる宮城野の露(藤原定家『定家卿百番自歌合』) 宮城野の萩の名に立本荒の里はいつより荒れ始めけむ(宗久『都のつと』) さまざまに心ぞとまる宮城野の花のいろいろ虫のこえごえ(源俊頼『堀川百首』) また、宮城野は『源氏物語』の中でも詠まれている。これにより、宮城野の声価はより高まっただろうともいわれる。 宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ(桐壺の帖) 宮城野の小萩がもとと知らませばつゆもこころをわかずぞあらまし(東屋の帖) ただし、地名としての歌枕は観念上のものであることが多く、宮城野の実際の景色を詠んだ歌はほとんどない。萩、露、鹿が宮城野の縁語となり、これと共に詠まれた。このような宮城野の心象が都人の憧憬を掻き立てたのである。ただし、宗久の『都のつと』は紀行であり、実際の宮城野を偲んだものとされる。 近世においては、『おくのほそ道』の旅路で松尾芭蕉が宮城野を訪れたが、ここでの句を残してはいない。1771年(明和8年)に宮城野を訪れた儒学者の細井平洲が「粟の畑にくさぐさの葉もまじりおりて、いずこに萩の咲いたるらん」と、寛政(1789年から1801年)の頃に俳人の遠藤曰人が「宮城野を大根うえてへらしけり」と、当時の宮城野の様子を記している。 近代文学においては、島崎藤村の詩に宮城野が見られる。詩集『若菜集』の「草枕」において「道なき今の身なればか われは道なき野を慕ひ 思ひ乱れてみちのくの 宮城野にまで迷ひきぬ 心の宿の宮城野よ 乱れて熱き吾身には 日影も薄く草枯れて 荒れたる野こそうれしけれ」と詠まれている。
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