宮城野の萩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:54 UTC 版)
宮城野の萩は都にまで知れ渡る著名なものだったと言われる。平安時代後期、陸奥守だった橘為仲がその任を終えて都へ帰還する際、都人を喜ばせるために、宮城野の萩を長櫃に入れて持ち帰ったという逸話もある。この時代の宮城野の萩がどのようなものだったのか、具体的にはわからない。後の江戸時代の地誌によれば、江戸時代の宮城野の萩は一年生植物の草萩であると記される。それと同時に、宮城野の萩がかつて弓や鼓の材料として使われていたという言い伝えへの言及もある。 ハギの種として宮城野から名を付けられたミヤギノハギがあるが、これと歌に詠まれた宮城野の萩はそれぞれ異なるものとされる。現代の植物図鑑によれば、宮城野に野生のミヤギノハギはない。今日、仙台の周辺に自生する主なハギとしては、キハギ、ツクシハギ、ヤマハギがある。
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