文学の中の巨椋池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:17 UTC 版)
巨椋池は古くから景勝地として文人墨客に愛された。 古くは『万葉集』に「柿本朝臣人麻呂之歌集所出」の雑歌として「巨椋の 入江響むなり 射目人の 伏見が田居に 雁渡るらし」(おほくらの いりえとよむなり いめひとの ふしみがたゐに かりわたるらし)と詠まれた歌が収録されている(巻9, 1699)。これが「巨椋」の名の初見で、上代には巨椋の入り江(おおくらの いりえ)と呼ばれていたことが窺える。「射目」は雁を猟る際に猟師が身を隠した遮蔽物のことで、これが「伏見」の語源とも考えられている。 和辻哲郎の『巨椋池の蓮』という手記は、1926年(大正15年)の夏に巨椋池で蓮見船に乗った思い出をつづったもので、当時の観蓮の情景を描いており、1950年(昭和25年)に発表された。この観蓮記が発端となり、往時の種子などをもとに自宅で蓮を育ててきた篤志者により、現在も巨椋池花蓮品種の保存や観蓮会が行われている。
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