文学における扱い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 22:12 UTC 版)
瑞牆山に関係する文学として、俳人の前田普羅(1884年 - 1954年)が1937年(昭和12年)1月17日に『東京日日新聞』紙上に発表した「甲斐の山々」の五句があり、その中に瑞牆山を詠んだ「茅枯れてみづがき山は蒼天に入る」の句がある。前田は山梨県を数多く訪問しており、1938年(昭和13年)に「甲斐の山々」を回顧した「一句の誕生」によれば1917年(大正6年)頃に山梨を訪れたときに、五句を着想したという。 詩人の尾崎喜八(1892年 - 1974年)は1935年(昭和10年)に刊行された随筆集『山の絵本』に収録されている随筆「花崗岩の国のイマアジュ」において八ヶ岳や金峰山など北巨摩(北杜市域)の山岳について触れ、瑞牆山についても言及している。 また、深田久弥(1903年 - 1971年)は、1964年(昭和39年)に刊行された『日本百名山』において瑞牆山を取り上げ、山名の考察を行っているほか「針葉樹の大森林からまるでニョキニョキと岩が生えているような」と表現した。 鋸岩、大ヤスリ岩など、岩々に名前が付けられている[要出典]。
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