文化財保護法の制定へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 06:54 UTC 版)
「文化遺産保護制度」の記事における「文化財保護法の制定へ」の解説
太平洋戦争中は国宝と史蹟の管理事務は継続されたものの、名勝・天然紀念物の指定事務は1944年(昭和19年)に停止に至った。また、建造物等の防空策や美術工芸品の疎開が進められた。終戦後、重要美術品の認定事務はいち早く1946年(昭和21年)8月から再開された。これは戦後の混乱状態の中、重要美術品の損壊や海外流失等の事態が懸念されたためである。しかし国宝や重要美術品は、戦時中には十分な保護措置がなされず、戦後も経済の混乱によって所有者である名家や社寺が経済的安定を失ったことで、荒廃するままに放置されたり、売却されて所在不明となったものもあった。 このような文化遺産の危機の中、1949年(昭和24年)1月26日、法隆寺金堂壁画が失火により焼損するという事件が発生した。この事件は日本国民に強い衝撃を与え、文化遺産保護のために抜本的施策を講じるべきであるとする世論が高まった。文部省では1946年(昭和21年)に古美術保存懇談会を開催して文化遺産保護制度の改正の問題を議論し、また1948年(昭和23年)文部省と国立博物館の関係者の間で法制度の改正を検討し、一応の成案を得ていたが、GHQの賛成が得られないままに実現が見送られていた。だが世論の後押しを受けて、文化財保護法が成立に向けて動き出すことになったのである。
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