文化文政期の流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 07:15 UTC 版)
変化朝顔の本格的な流行は文化・文政期(1804 - 1830年)に始まったと言われる。米田は同時代の様々な文献を挙げ「江戸の変化朝顔の栽培は文化3年(1816年)頃から始まり、大坂に広まったとみてよいだろう」と述べている。江戸や大坂では、花合わせ(品評会)が始まり、大坂では『花壇朝顔通』(文化12、1815年)、『牽牛品類図考』(文化12、1815年)、『牽牛品』(文化14、1817年)、江戸では『あさかほ叢』(文化14、1817年)、『丁丑朝顔譜』(文化15、1818年)、『朝顔水鏡』(文政元、1818年)など朝顔専門の図譜が多数刊行されるようになった。この頃の変異としては、花色は赤系統と青系統は濃色から淡色まであり、茶系統や灰色系の花も現れ、また絞りや絣りの花も出現していた。『あさかほ叢』ではさらに、柿色、薄黄、極黄、黄絞りの花が見られる。葉色では、斑入り葉、黄葉、葉型では丸葉、芋葉、鍬形葉が現れた。葉と花に関連した変異では、渦、立田、笹、柳、南天、乱獅子、獅子、桐性など、花形では縮咲、石畳咲、竜胆咲、台咲、孔雀咲、八重咲きなど、他に茎の石化、種子も斑入り葉の褐色黒筋入りと茶色種子が出現した。この頃に団十郎朝顔の特長である柿色の変異が生まれた。
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