政権獲得に向けて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:12 UTC 版)
「ヨーゼフ・ゲッベルス」の記事における「政権獲得に向けて」の解説
1933年1月に入るとゲッベルスは人口15万人のドイツ最少州リッペ州の州議会選挙にナチ党に残された最後の選挙資金をすべて注ぎ込むことを決定した。ゲッベルスの見立てでは他党はこんな小さな州の選挙にはほとんど関心を持っていないので、いくら金欠のナチ党でも全力を注ぎこめば勝利するのは容易であり、その勝利を喧伝することによって国家社会主義運動はまだ終わっていないことを世に知らしめられるという意図だった。 マスコミ各紙からは意図を見抜かれ、嘲笑されたが、ゲッベルスは気にしなかった。ゲッベルスの他、ヒトラーやゲーリング、フリックなどの党幹部が続々とこの小さな州の町や村に入って演説をこなした。それまで数万人という規模の聴衆を相手にしてきた彼らが、村の宿屋でわずか60人、70人ぐらいを相手に演説している時もあった。 1月15日の投票の結果、ナチ党はこの選挙に圧勝した。ゲッベルスは「党は再び進軍を開始した」と日記に書き、さらにそれを全国に告げるべく、1月20日の『デア・アングリフ』で次のように論評した。「リッペの市民の決定は地方的な事件ではない。それは全国に広がっている感情に照応する物である。再び大衆は動き出した。我々の方に向かって」。 一方パーペンら大統領側近グループや保守派はすでにヒトラーを首相にする方向で調整に入っていた。このままナチ党が衰退し、不敵に伸長を続ける共産党が第一党になったら破滅するのはナチ党だけでなく彼らもだった。議会や大衆に根付いた保守右翼政権を樹立させるにはこれが最後のタイミングといえた。1月18日にはヒトラーとパーペンの会談、ついで1月22日にはヒトラーとパーペン、オットー・マイスナー(大統領側近)、オスカー・フォン・ヒンデンブルク(大統領の息子)らの会談、1月26日にはパーペンとフーゲンベルクとフランツ・ゼルテ(鉄兜団団長)の会談、1月27日にはヒトラーとフーゲンベルクの会談などが立て続けにあり、これらの会談によってシュライヒャーを失脚させてナチ党・国家人民党・鉄兜団・パーペン政権閣僚ら保守右翼勢力の連立によるヒトラー内閣を誕生させることが大筋で決定された。
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