政党連合から政党への移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 19:35 UTC 版)
「民主左翼連合 (ポーランド)」の記事における「政党連合から政党への移行」の解説
1997年の憲法改正で、社会団体が選挙に参加できなくなったことから、SLDは選挙連合から政党への転換を図り、1999年4月15日に連合に参加していた29組織が新党「民主左翼連合」を結成する署名を行って、政党へと移行した(政党登録は1999年4月26日)。この時、SLDは社会主義体制を明確に否定して社会民主主義路線を明確にした。 2001年議会選挙では労働連合(UP)と選挙連合(SLD-UP)を組み、216議席(41.0%)を得て圧勝。SLD-UPは第1党としてPSLと連立を組むことで、政権に返り咲いた(のちにPSLとの連立は解消された)。しかし、2002年12月末に明るみに出た民主左翼連合への贈賄疑惑(リヴィン・ゲート事件 RywinGate)をきっかけに支持率が急落し、2003年には5%前後まで低迷した。そして、党内では内部対立が表面化し、2004年3月には指導部の腐敗を批判する一部党員や議員が離脱して「ポーランド社会民主主義者」(SDPL)を結成した。
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