政党連合から「左翼党」の結成へ
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「民主社会党 (ドイツ)」の記事における「政党連合から「左翼党」の結成へ」の解説
これに転機が訪れたのが2005年であった。9月18日に行われた連邦議会選挙に際しては、新たにオスカー・ラフォンテーヌらドイツ社会民主党の最左派が結成した「労働と社会的公正のための選挙オルタナティブ」(WASG)と政党連合「左翼党」を結成して臨み(選挙前の2005年7月17日に民主社会党は左翼党-民主社会党と三度目の改称をした)、8.7%の得票を得て議席獲得に必要な5%の枠を突破。54議席を獲得し(うちPDS42、WASG12)事実上、議会第4党相当の獲得議席規模に躍り出ることに成功した。 その後、PDSのグレゴール・ギジとWASGのオスカー・ラフォンテーヌがお互いの政党に入党し2重党籍となるなど、約2年間の統合プロセスを経て2007年6月17日に正式に左翼党-民主社会党とWASGの両党は合併し、単一政党としての新党「左翼党」を発足させた。なお新党の結成直前には政党連合としてブレーメン州議会選挙で初めて議席を獲得したが、本格的な旧西ドイツ地域への進出は左翼党の結成後まで待つこととなった。
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