支配の瓦解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 00:53 UTC 版)
2006年12月6日、国際連合安全保障理事会はソマリアへの国際平和維持部隊派遣を決定した。しかし、20日に法廷会議とエチオピア軍の間に起こった戦闘が激化。エチオピアは24日にこれまで認めていなかったソマリア派兵の事実を確認、同日ソマリアへの空爆を開始し、法廷会議との「戦争状態」を宣言した。28日にはエチオピア地上軍の侵攻を受け、法廷会議はモガディシオからキスマユに撤退、エチオピア側は戦闘で法廷会議側を約1000名殺害したと発表した。2007年1月1日には暫定政府軍とエチオピア軍がキスマユを攻撃すると、ほとんど抵抗することも無く、法廷会議は南部ケニア国境に敗走。暫定政府は北部のソマリランド自治区域を除き、ソマリア全土を掌握したと宣言、また残党の掃討は継続するとした。 ケニアでは法廷会議民兵が拘束されるなど、結束力が失われた可能性も示唆されたが、モガディシオに潜伏する指導部は、年始早々に日本の朝日新聞による潜入取材に応じた(1月6日朝刊掲載)。それによると、戦闘激化は一部部隊の強行によるもので、会議内に混乱があったこと、2000人の兵士と100台のテクニカルで応戦したが、戦闘機や戦車を持つエチオピア軍に歯が立たなかったことを公表した。また、兵士と武器のほとんどは温存されており、国民の不満が高まった頃合を見計らって、ゲリラ攻撃を仕掛けると発言している。
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