接種法と接種部位の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 21:18 UTC 版)
日本に種痘が伝搬して以降1947年頃までは、基本的に右上腕の4箇所にランセットで十字型に傷を付け、そこに痘苗を植え込む「切皮法」によっていた。1948年頃から前掲の写真にある二又針で右上腕の1箇所のみに傷を付ける「乱刺法」に変更された。いずれの方法でも接種後数日で接種箇所に膿疱を生じ、約30日後に痂皮となり、痂皮が脱落した後に通常は直径1 - 3 cm程度の目立つ瘢痕が残り終生消えない。1950 - 60年代頃には、主に女性の美容上の観点から、時として直径3 cmにも及ぶ醜い瘢痕が上腕の目立つ箇所に残るのが嫌われ、できる限り露出する機会の少ない右肩に接種される傾向が多く見られた。しかし肩はケロイドの好発部位であり、同時期に同様の理由からBCGを左肩に接種されてケロイドとなる例が多発し問題視され、右肩に接種された種痘においてもBCGの半数程度の頻度ではあるが時折ケロイドを形成した例があった。顕著な事象としては左肩に接種された種痘により13 cm ×7 cm大のケロイドを生じた例が報告されている。これらの結果を受けて1970年代になると接種部位を右上腕三角筋下部付近に下げる傾向が見られるようになったが、基本的には上腕中央より上部に接種するのが通例であった。前掲1点目の瘢痕の写真は最末期の接種だが、極端に下部、肘から上10 cm程度の部位に接種された非常に稀な例である。
※この「接種法と接種部位の変遷」の解説は、「種痘」の解説の一部です。
「接種法と接種部位の変遷」を含む「種痘」の記事については、「種痘」の概要を参照ください。
- 接種法と接種部位の変遷のページへのリンク