投毒事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 00:36 UTC 版)
蜂起の計画は、ベトナム人の料理人らがハノイ城に駐留するフランス軍人の夕食に毒を盛り、無力化する、それと同時にベトナム人の兵士(インドシナ兵)が陽水(ベトナム語版)、山西、北寧のフランス軍人の駐屯地を攻撃し、彼らがハノイ城を助けにやってくるのを阻止する、ホアン・ホア・タムは城の外で待機し、内部からしらせが届くと嘉林への攻撃を始める、という手はずだった。 計画は1908年6月27日の夕方に実行に移された。ベトナム人コックのグループが、調理中のパーティの料理に曼荼羅華の毒を混ぜた。毒は直ちに200人近いフランス軍人に作用したが、死んだ者は誰もいなかった。さらにコックのうちの一人が罪悪感を覚えて教会へ告解に行ったところ、フランス人神父がこれを植民地治安当局に密告した。フランスのインドシナ総督ポール・ボーは直ちに戒厳令を敷き、陰謀の首謀者らと計画の実行犯の逮捕を命じた。城の外ではホアン・ホア・タムが待機していたが、期待していたシグナルが上がらず、計画が失敗したことを悟ると手勢とともに撤収した。
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