戦国大名の名誉格式へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/26 15:40 UTC 版)
戦国時代になると、朝倉孝景や北条氏康、北条氏政、尼子晴久、斎藤義龍、毛利元就、毛利隆元、毛利輝元、今川氏真、大友義鎮、伊東義祐、河野通直など在京して将軍に随従する事もない地方の戦国大名が任じられる例も増えて、役職としての意味合いは希薄化して大名の格式を示す身分としてのみ存在するようになるが、一方で武田信玄から追放されて京都へ居を移した武田信虎が任じられる事例もあった。また、本来は細川氏の家臣であった三好長慶が足利義輝より相伴衆に任じられてその身分的権威をもって管領の役職を代行して幕政の実権を握り、さらに長慶の子の三好義興も任じられた。 更にこれとは別に将軍家に近い公家が相伴衆に任じられる例があった。永正の錯乱の際に足利義澄に従って京都を脱出した日野高光、出家隠遁した冷泉為広、妻の実家今川氏に逃れた正親町三条実望は義澄の相伴衆であったという。 職制としては室町時代のみであるが、戦国時代から江戸時代初期に見られる御伽衆は、しばしば相伴衆とも呼ばれ、将軍(あるいは大名)に仕えた似たような役職である。
※この「戦国大名の名誉格式へ」の解説は、「相伴衆」の解説の一部です。
「戦国大名の名誉格式へ」を含む「相伴衆」の記事については、「相伴衆」の概要を参照ください。
- 戦国大名の名誉格式へのページへのリンク