戦国大名から平戸藩主へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 16:25 UTC 版)
松浦党は、居住する地域によって上松浦党と下松浦党とに大別された。上松浦党は、松浦久以来の松浦地方の岸岳城を中心に大きな勢力を誇ったが、その最大勢力である波多氏は、戦国時代をへて滅亡した。下松浦党の傍系である平戸松浦氏は、戦国大名として成長し、関ヶ原の戦い以降、旧領を安堵されて平戸藩6万3千石の外様大名として存続した。
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