懲罰部隊へ送られる要件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 16:10 UTC 版)
懲罰部隊に送られた者には、以下のような類型があった。 ソ連国防人民委員令第227号違反、あるいはロシア共和国刑法第58条(反逆罪やその他卑劣な罪)において有罪判決を受けた罪人。第227号命令違反に限らず、臆病なふるまいをしたとされる士官や下士官は、通常は兵卒に降格されたうえで懲罰部隊に送られた。 捕虜となっていたソ連兵。ソ連兵にとって捕虜となることは国家に対する反逆行為とみなされ、救出されたり、脱走に成功しても、自発的に敵軍に投降した者とともに「元軍人」として扱われた。これらの「元軍人」は、ソ連刑法第193条(脱走や任務放棄に関する罪)やロシア共和国刑法第58条違反に問われたほか、懲罰部隊に送られることがあった。1943年3月には、国防人民委員部次官発の前線軍法会議に対する指令第97号により、「元軍人」を重罪の嫌疑があれば特別収容所、そうでなければ速やかに懲罰部隊に送ることが明確にされた。ソ連軍の反攻が進むと捕虜の救出が増えたが、この規定により今度は自国の収容所や懲罰部隊に送られることになったのであった。1944年11月には、特別収容所で審問中のすべての元将校も、懲罰大隊へと送られることになった。なお、戦後に生還した捕虜はしばしば死刑となった。 敵軍勢力下に取り残された「敵軍に包囲された者」。これら捕虜にはならなかったソ連兵は、多くはパルチザンに加わったり、なんとかソ連軍の勢力圏まで敵陣を突破して生還したりしたが、捕虜と同様に冷遇された。1941年頃は後方の建設部隊に送られてラーゲリに近い処遇を受けていたが、それ以降は懲罰部隊へと送られることが一般的になった。 ラーゲリ収容者。これらの施設には必ずしも民間人だけが収容されていたわけではなく、さまざまな犯罪で収容所送りとなった元将兵が含まれていた。
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